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広がる世界

小学生の頃、放課後や休日に
カナタが友達と遊ぶことは
ほとんどありませんでした。

それが、今、変わりつつあります。

小学生時代

小さいころはいくつかの習い事をしていて
平日にあまり時間がなかったことと
中学受験を意識して勉強を始めてからは
休日も時間がなかったという事情はあります。

しかし、当時のカナタは
家が一番いい、学校は嫌ではないけど楽しくもない
という感じでした。

学校での出来事を自分から話すことも少なく
こちらから質問しないと話しません。

話すときでも感想を聞くと「普通」と一言。

幼稚園時代は仲が良いと言えた友達は一人だけ。
小学校でも、これといった友達はいないまま
卒業してしまいました。

中学進学後は

それが、中学生になってまだ一カ月あまりで
すでに3回「も」友だちと遊びに行っています。

それも、家に行ってゲーム、ではなく
今のところは地区の公民館に行って
卓球やバドミントンなどスポーツを楽しむ
といったことをしています。

一緒に帰ったり遊んだりしている友達が
3人ほどいるようで
昨日もグループで遊びに行っていました。

LINEで行き先を連絡しあっていたり
そのうち電話で話し合いをしたり
そういうことも楽しんでいる様子です。

小さな世界

地元の小学校は1学年2クラスしかない
小さな小学校でした。

人の入れ替わりもほぼありませんから
低学年の比較的早い段階で関係はほぼ固まり
一度ついたイメージを変えることは
だんだん難しくなります。

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昨年面談で担任の先生に聞いた話では
同級生から見たカナタのイメージは
(運動以外は)何でもできる子。

勉強はもともとできていたし
集団学習や行動でもまとめる立場になることが
多かったようです。

しかし、本来弟気質のカナタには
そういうことはとっても苦手で大嫌いなのに
放置したら誰もやらないので、
仕方なく自分がやるという形だったようです。

きっと、カナタ自身が思う自分と
周りの評価のギャップが大きいことに
居心地の悪さもあったのだと思います。

広がる世界

結果的に小学校は苦手を克服する機会を
(強制的に)作ってくれたのかもしれず
今後を考えるとよかった点もあると思います。

ただ、決して楽しい環境ではなかったはずです。

実際のところ、それができたのは
療育の先生の言葉を借りれば
周囲との絶対的な能力差が大きかっただけ
ということのようでした。
(決して自慢ではありません、すみません)

結局、(カナタ自身は何も言っていませんが)
小学校では自分にプラスの影響をくれる子を
見つけられなかったのではないかと思っています。

それが環境が変わって、小学生時代を知る人は
誰もいなくなりました。

長く過ごしていた狭い世界を抜け出して
ようやく自分にとって居心地の良い環境を
手に入れることができているのだとしたら
親としてこんなに嬉しいことはありません。

自分の力で手に入れた希望の環境で
どんどん世界を広げていってほしいと思います。

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